好きじゃないけど、気になるってやつ。

ストーリーテラーという言葉がある。
読者をぐいぐい引っ張っていく文章を書ける作家、というような
意味だろうか。引き込まれる、と言ったほうがいいかも知れない。

この言葉を初めて実感したのは、コニー・ウィリス「航路」を読んだ時。
土曜日に図書館で借りて家に帰り、夕食後にさっそく取り出したものの、
こんな分厚い上下巻しかも二段組(だったと思う)、どんだけ時間かかるんだ
と思いつつ読み始めて、気がつけばはや上巻の終わりにさしかかり、
夜も白々と明け始め、両目は充血して真っ赤だというのに
ああ下巻も借りててよかったー、とにんまりした時だ。

だがしかし、こんなシャーワセな体験ばかりではない。
もーなんだよこれこんなのありかよほんとにー、といいたくなるような
それでいて途中で止められず、ずるずると読み続けてしまう。
そんな納得いかない小説がこれ。

ジャンプ (光文社文庫)

ジャンプ (光文社文庫)

まず、登場人物がなんか気に入らない。
ちょっとずつなんとなくやな感じの奴ばっかり出てくる。
唯一主人公の同僚だけはいい奴ぽかったけど、
他はみんなジコチューで感じ悪くて思わせぶりで気に食わない。
主人公はこまかいことにこだわってばかりで優柔不断でいじいじしてるし、
その彼女は、自分の思いだけで回りの迷惑も考えず行動してるし、
彼女の姉は「私何か間違ったこと言ってますか」的発言ばかししてる
嫌みな奴だし、その夫ははっきりしないくせに何かエラそうだし。

でも、そんなやな奴らばっかりでてくるこの小説を読むのを
どうしてもやめられない。先が気になって気になって仕方がないのだ。
半ば意地になって読み続け、読了した時にはっと気づいた。

この人達は全部私だ。私の優柔不断さ、意地悪さ、身勝手さを
少しづつ持っている人達の出てくる小説。
この小説は私の小説なんだ。だからやな感じで、でもやめられないんだ。
自分に興味を持てない人は、そうはいないだろう。

うーん、ストーリーテラー恐るべし。

ジャケ買いでした。

ナニが楽しいって、
既知の事実であるかのごとく詳細に語られる異世界の冒険譚を
居心地のいい場所でぬくぬくと読みふけるこの快感。

この快楽を最初にもたらしてくれたのが
ジャック・ヴァンスの「魔王子シリーズ」だった。
ストーリーの面白さ、ディテールの緻密さ、ユニークさ。
すっかり夢中になって、本がぼろぼろになるまで繰り返し読んだ。

「竜を駆る種族」が復刊と聞いて本屋へ行く途中、
いつも立ち寄る古本屋が在庫整理のバーゲン中。
どれどれと覗いてみると、100円均一の箱にジャック・ヴァンスの名前が。
「冒険の惑星」1〜4巻。そそられるタイトルではないですか。
これも何かの縁と購入。

年の瀬に、正月休みの間に読みたい本を買い溜める。
これもまたわくわくする楽しみの一つであります。
あーどれから読もう。

竜を駆る種族 (ハヤカワ文庫SF)

竜を駆る種族 (ハヤカワ文庫SF)

マイ西原ブーム

久しぶりに号泣。
なにがいいって、みっちゃんのキャラが。これがもう。

ダンナと逃げたフィリピンパブの子を車で追い掛け回したり、
腹を刺されたろくでなし男に救急車を呼んでくれと頼まれて
「贅沢」と言い放ったり。
もう、すこーんと突き抜けちゃってる。ように見える。

大笑いして、考えさせられて、号泣して、少ししんみりした。
いいほんです。

パーマネント野ばら

パーマネント野ばら

溺れる。

ふと、頭に浮かぶ光景。

あ、これ、なんの画だっけ。映画・・・アニメだったかな。
頭上の大樹からこぼれる光のきらめきも、
鮮やかなマリンブルーの海を見下ろすアングルも、
太陽に手をかざす少女のひざあたりで翻るワンピースのすそも
暖かさが伝わるような古い石畳の道も、とてもリアルだ。

どこで見たんだ?



みていませんでした。
読んだのでした。
そしてその本が私にみせてくれた風景なのでした。

キラキラきらきら
ハレーションを起こしてしまいそうな色と光の洪水。
彼の小説を読むといつも、この波に溺れそうになる。
なんて気持ちいいんだろう。
溺れたくて、また読む。
うーん、快感。
皆さんも是非是非。

ただちょっと、痛みも伴うのでご注意を。

超好きかも

ちょっと遠くに住んでる友人は、男の子ばかり4人の子持ちだ。
さぞかし毎日うるさかろうと思っていたが、そうでもないらしい。
「同い年の女の子がいる家のほうが何倍もうるさい」らしい。

男兄弟がいない私は、家の中に男の子がいるのがどんなものなのか
よくわからないが、女の子のかまびすしさはよくわかる。
えーっとか、いやーっとか、うそーっとか、無駄にうるさいのだ。
「小学校も高学年になると、あんまり取っ組み合いのケンカもしなくなるし、
兄弟で一緒に遊ぶことも少なくなるねえ」と友人。

いろんなことがなんとなくわかってきたり、
今までできなかったことがある日突然すんなりできちゃったり、
逆に当たり前のようにやってたことがどうしてもどうしてもできなかったり、
子供たちの毎日はいろんな変化の連続だ。
それを見守る親のほうも、そんなちいさな成長に一喜一憂するんだろうな。
なんだかちょっとうらやましい気がする。

いけちゃんとぼく

いけちゃんとぼく

書店でうっかり立ち読みしてたら泣きそうになってちょっと困った。

人間は忘れる生き物である。よかった。

飲み会などでやる他愛のない勝負の罰ゲームは、
その目的と性格が大きく二つに分かれる。
男女のコミニュケーションを盛り上げるものと
とにかく笑いを取るためのものだ。
前者は、まあコンパの王様ゲームの類であるが、
後者はさらに次の2種類に分かれる。

①仮装・化粧等恥ずかしい格好をする
②過去の恥ずかしい話をする

①については予めある程度の準備は必要だが
別段難しくもないし、本人もかえって喜んでたり
罰だかなんだかわからないこともあったりして、
比較的受け入れられやすい罰ゲームだろう。
但しこれの発展系としてその仮装のままコンビニへ行って
コンドーム買って来る、なんていうのもあるので
油断は禁物だ。基本的に酔っ払いには「何でもあり」
だということを忘れてはならない。

問題は②だ。
恥ずかしい話というのはなかなか難しい。
まず、この場合の恥ずかしい話というのは
「本人は恥ずかしいけれど他人が聞くと笑える話」
でなければならない。
あまりの恥ずかしさに一同真っ赤になってうつむいてしまっては
よろしくないのである。
逆に、
「彼がぁ、人前でぇ、いきなりキスしたんですぅ、キャ」などというような
それのどこが恥ずかしい話だってんだよいや確かにそんなお前らは
恥ずかしい人間だけど話自体は恥ずかしくもなんともねえじゃん
カマトトぶってんじゃねえよケっという話もいけません。
本人は自分の好感度を保つために恥ずかしさのレベルを下げたつもりでしょうが
かえって皆がヒイていることに気づきましょう。

えーと、なんで長々こんな話をしてるかっていうと
恥ずかしい話なんていうのは、普段は記憶の奥深くにしまいこんで
なるべく思い出さないように触れないようにしているもので
それがふとした拍子にぽっかりと浮かび上がってきた日にはもう
身悶えしてじたばたしてがああああーっと叫んでしまいたくなるもので
そして大抵の場合、その当時の自分はひどく真面目で真剣なので、
それだからこそ恥ずかしいのである、というようなことを
甘酸っぱい思い出と共にこの本が思い起こさせてくれたからである。

夜のピクニック (新潮文庫)

夜のピクニック (新潮文庫)

この歩行祭という行事、私の中で
BOOMの「風になりたい」のカラオケ画面で本人が出てるパレード(?)と
共に、「実際にあれば参加したいイベント」の一つとなりました。
わかりにくいなあ。

でも東江さんの訳は好き。

シリーズ物のクオリティを保つのは大変な事だろうと思う。
映画にしろ小説にしろ漫画にしろ。

人気のあるシリーズには期待も要望も多いし、
一度受けた感動は忘れがたく、記憶の中でさらに深く大きく育つものだ。
打ち勝つのは容易じゃない。

砂漠で溺れるわけにはいかない (創元推理文庫)

砂漠で溺れるわけにはいかない (創元推理文庫)

ご存知、ドン・ウィンズロウの人気シリーズ第5作目で
これが最終巻となる。
「ストリート・キッズ」で探偵業その他人生のイロハをグレアム「父さん」
に叩き込まれたニール・ケアリーが、その後
仏陀の鏡への道」で厳しい試練を乗り越え(私はこの巻が一番好き)、
「高く孤独な道を行け」で運命の出会いをし、
その相手カレンと結婚式をあげる2ヶ月前、という設定の今作。

昨年出た「ウォータースライドを登れ」の時にも感じたのだが、
最初の3作に比べるとどうにも物足らない。
ボリューム(ページ数)もだが、ストーリーもプロットもいまいち。
これなら「高く〜」でシリーズ完結にした方が良かった。

これがシリーズでなく、番外編とかそういう形で出たのだったら
もっとすんなり楽しめたのに、と思うとちょっぴり残念。
ネイサンじいさんがいい味だしてるのになあ。